統計というウソ

「発掘!あるある大事典」の事例などを紹介し、いかに臨床データというものが簡単に捏造できるのかということを説明しました。そして科学的なデータはもちろん、何らかの物事を実証しようとするとき、統計理論というものが裏づけとして非常に多く用いられます。

そもそも統計とは、すべての物事に対して調べると莫大なコストがかかるため、それを抑えるための手打ち点のようなものです。たとえばすべての人間に対して調べるということは実質的に不可能なため、ある程度の集団について調べることで妥協し、これを人間全体に当てはめるといったように。母集団に対してどれくらいの標本数で検証すれば、どのくらいの確率で確からしいのか、その指標をもっともらしく表したのが統計学です。

注意すべきは、統計といっても統計学的な最低用件を満たしていないものまでまるで学術的に正しいかのような扱いをしばしばされること、そして統計学的要件をたとえ満たしていても、それが正しいとは限らないということです。

そもそも特定の標本を集める以上、その標本の数がどれだけ多かろうと必ず確率に偏りが生まれるようになっています。それはたとえば何回もサイコロを振っていたら、同じ目が3回連続で出るような事態に遭遇するように。そして自分の望む結果にそうような確率の偏りをいかに捉えるかという、まったくもって本末転倒なことがまかり通っています。

統計学に基づいているといえばもっともらしく聞こえる分、人を欺いたり、特定の方向に誘導するための、常套手段として用いられています。各種調査や似非科学のたぐい、健康関連やダイエット関連、果てはある種の占いまでが統計学に基づいることを主張するのは、滑稽ですらあります(もちろん占いもプラセボ的効用で幸せになれる人がいることも事実ですが)。

これまでのエントリーでは、折に触れて今までの歴史を参照することが大切だと述べてきました。なぜならば歴史こそが、統計の取り方による恣意性が働かない、全数調査であるからです。

世の中にはいろんな情報があふれており、いたずらに不安をあおられたり、あるいは簡単に不安が解消できるかのように信じ込まされたり、そういうシチュエーションが本当に多いです。しかしそれらのことに左右されないで、当たり前のことを当たり前に考えることが大切だと思います。

この世の中に万能薬のようなものはありませんし、そもそも人間というものは強い生き物です。あらゆる状況に対応できるように本当によくできています。ですが同時に誰しも老いは避けられず、いずれ死んでしまう存在でもあります。

すべてはその認識から始めなければなりません。