生活習慣に原因をなりすりつける背景

人間とは、因果関係を求める生き物です。

何かが起こったとき、それがなぜ起こったのかを考えようとします。特にその起こったことが理不尽であればあるほど、なぜこんな目に遭わなければならないのかと考えるでしょう。なにか合理的な理由付けがない限り、納得するなど到底できません。なぜと考えること、異なる事象を結び付けて因果関係を見出すこと、そういう姿勢こそが人間をほかの生物とをわける、固有の特質と言えるものです。

天変地異や疫病の流行、飢饉、世の中ではさまざま理不尽なことが起こりえます。かつて人間はそれらを、宗教や神話、祟りや霊といった、超越的な存在をもって説明してきました。現在それにとってかわって説明してくれるのは、科学にほかなりません(いまでも超越的な存在の影響力はありますが)。

なにか理不尽なことであったとしても、それには科学的な裏づけがあると考えられます。天変地異ならば、たとえば地震や津波、あるいは火山の噴火が起こる、そのメカニズム自体は一応のところ解明されていると言っていいでしょう。

病気や体の異変の場合は、医学が説明してくれます。医療の発展によって、この世から根絶された疾病は少なくありません。ですが医学が万能かというと、それは違います。まだあまりにも解明されてないことが多すぎます。特に人間の体の仕組みに関しては、やっとスタートラインに立った位の状態です。死や老いというものを止めることはできませんし、病を未然に防ぎきることもできません。

それは天変地異のメカニズムがわかっても、それを防ぐ手立てがなかったり、あるいはいつ起こるかさえ予測できないことと、似ているかもしれません。今の科学のレベルをもってしても天変地異には対抗できない、ということはほとんどすべての人の共通理解でしょう。

しかし体のこととなると、理不尽なことが起こったとき、わからないものの正体を、生活習慣や食生活というものにすべて押し付けようとします。時には、データを捏造したり、関係のないもの同士をくっつけて、無理やりに因果関係を作り出すことさえあるのです。

特に現代では、少なくとも表面上、「すべての人が公平で平等である」という価値観が支配しています。この価値観自体は間違いなく素晴らしいものです。人類全体で尊重していかなければなりません。しかし結果的に、他人と比べて自分だけが割を食うような事態、たとえば若くして病気にかかってしまうことなどは、ことさらに理不尽さを感じてしまうことになります。

たまたま自分がそうなった、では納得できません。そうなると生活習慣や食生活に、原因を求めるしかないのです。また原因があることで、自分は割を食いたくないと考える多くの人たちに対して、これをしなければ大丈夫だという、架空の安心感を与えることができます。

例が必ずしも適切ではないかもしれませんが、わかりやすい事例として頭皮の薄毛を取り上げてみたいと思います(もちろん薄毛は病気でも何でもないことは断っておきます)。

決して少なくない人たちが、薄毛と生活習慣(ストレス、不規則な生活、清潔さなど)や食生活は、因果関係にあると考えてるでしょう。そして薄毛に悩む人は、生活習慣や食生活を改善させれば、治ると信じているかもしれません。

しかし冷静になって周りを見回してみてください。食生活に一切気を使わず、頭髪をまったく洗いもしないというような方でも、必ずしも薄毛であるかというと違います。そういう方たちは日本国内にもいらっしゃいますし、世界を見渡せばそういう環境にいる方のほうがいまだ過半数である、と言っても過言ではありません。そもそもまともに栄養摂取が行えるようになったのは、この国においてさえごく最近、戦後しばらくがたった後です。また毎日お風呂に入ったりシャワーが浴びれるようになったのも、同じくごく最近のことです。昔の人たちが今よりも薄毛率が高かったというと、それは違います。このことは肌の吹き出物など、ほかのあらゆることに当てはまるでしょう。

一見理不尽に思える体の異変というのは、老化や個人の生まれもった遺伝子、そしてまったくわからないほかの何かが介在することによって起こるのです。単純に生活習慣や食生活に原因をなすりつけられるようなものではありません。顔には人それぞれ個性があるように、ある種の理不尽さは、時に受け入れなければならないこともあります。

もちろん生活習慣として明らかに悪いと思われるものがあることは事実です。またたとえ非常に微細なものでも、何年何十年という歳月が積み重なれば、悪影響としてあらわてくる可能性もあります。

しかし人間はかなりの極限状態も含めて、大抵の環境には適応できるようにできています。それほど強く、よくできた存在なのです。なによりこの激動の地球環境の変化の中、何十万年も生き残り、これほど個体数を増加させ続けることができたのですから。

次のエントリーでは、その人間の強さについて考えてみましょう。