人間は強く、また環境に適応できる

人間というものは元来、非常に強い生き物です。ちょっとやそっとの環境の悪化くらいには、すぐ適応してしまいます。いやむしろ現代人が考えうる限りの極限的な状態であっても、たくましく生き延びることができるようにできているのです。

人類は生誕してからこのかた、苛酷な地球環境に耐え、外敵や疾病、飢餓と戦いながら、文明をここまで築き個体数を増加させ続けてきました。それらの歴史的な事実に対して、まずは目を向けなければなりません。

人間とは、すぐにものごとを忘れてしまう存在です。もちろんそれは悪いことばかりではありません。嫌なこと、つらいことを忘れることは必要ですから。ですが今のこの恵まれた、安全が保障され、欲しいものがなんでもすぐに手に入る環境が、当たり前であるかのように錯覚していること、それは大きな問題です。

人間が、雨風しのげるような場所で生活できるようになったのも、お腹一杯ご飯が食べられるようになったのも、毎日シャワーを浴びたりお風呂に毎日入ることができるようになったもの、歴史の中ではごく最近のことです。世界を見渡せば、いまだそういう生活に満たない人たちも多数います(だからと言って不幸せではない、むしろ少なくとも内面的には幸せであることのほうが多いのは皮肉ですが)。

現代の社会においては、本当に瑣末なことに対しても、体に良い悪いと議論を招きがちです。これまでブログを通じていろんな観点から考察してきましたが、そのほとんどはいずれもナンセンスなものです。有意な影響は見受けられない、いやむしろまったく意味はない、と言い切ってしまって十分なものが大半です。

脳や気持ちの面から言うと、かつて述べたようにプラセボというのはあります。その影響は決して無視できません。

また社会からの要請という面で言うと、経済を循環させるために、いたずらに不安をあおったり、あるいは救いを与えるかのように信じ込ませて、消費行動に結び付けさせることは間違いとも言い切れません。お金が回らなければ、結局のところみなが貧しくなってしまいます。

さらにダイエットというのは、美的感覚の面から考えることができるでしょう。美しくなりたい、モテたい、そういう気持ちは誰でも持つものですから。ことさら性において過剰に抑圧された現代においては、なおのことです。美の基準自体は時代によってかわりえますが、その流れに身を任せることも豊かな生活を送るためには必要でしょう。

ですから過大に誇張された情報も、ウソや捏造にちかいたぐいも、すべてを否定することはできませんし、する気持ちもありません。それらのものでも、決して少数とはいえないある一部の人たちにとっては有用なのですから。

ですが一方では、様々な情報に踊らされて、逆に健康を害する人たちもいます。そして不当に利得を手にしている人たちもいれば、そのツケを払わされる人もいます。

たとえば無意味な医療のために大量のお金を国中上げて浪費し、そのつけを後の世代に押し付けるようなことは、やはり個人的に憤懣を感じざるをえません。それが命を救うためにどうしても必要なものであるのならばまだしも、現実問題として一部の人たちの権益にしかならないのですから。少なくともそんな茶番の責任は我々世代の範囲で負うべきです。

人間として当たり前の生活をして、当たり前のものを摂取すれば、きちんと人間らしい生活はできるようになっています。もちろん、老いや、病、そして最終的には死というものが、いずれはやってくるでしょう。それらはどうやっても避けられものです。

適度に食べ、適度に運動し、適度に休む。そうやって人生を大いに楽しむ。もしそういう生活を送っていれば、何か不測の事態が起こったとしても、下手にじたばたしないで広い心でもって受け入れるのではないでしょうか。

適度であるとはどれくらいで、人を過剰に向かわせるものは何か、そして人間らしく当たり前で健康的な生活とはということを、このブログを通じて様々な観点から考えていきたいと思います。


最後に大切なことなので、人間の強さについての例外を補足しておきます。

それは子供、特に乳幼児に関してです。人間は二足歩行を手に入れた代償として、骨盤が小さくなり、かなり未熟な状態で赤ちゃんを出産せざるをえなくなりました。よって子供のうちは、人間本来がもっている環境に適応できる能力というものが、非常に脆弱です。幼いうちは、特に体調面で格段の注意を払う必要がありますし、場合によっては医療の手を借りる必要もあります(同じく骨盤が原因で、出産するときの母体にも大きな負担がかかるので注意せねばなりません)。

そもそも人間の平均寿命の違いというのは、乳児死亡率に大きく依存しています。各国を比べても成人後の平均死亡年齢というのはそこまで違いません。また過去と比べても、これだけ医療が発達したように思えて、そこまで変わりません(一時的に特定の疾病が猛威をふるったことは時代時代でありましたが)。

むしろ成人後の健康年齢という形では、現代のほうが少ない可能性すらあります。これは普段から運動らしい運動をほとんどせず、何かあればベッドにすぐ縛り付けるような行為を医療と呼んでいるので、当然といえば当然ですが。