ダイエットとは自然に反する行為である

人類の歴史、いや生物の歴史とは、飢餓に対する戦いの連続と言えるでしょう。

あらゆる活動は、生命を維持するためのエネルギーがなければ成り立ちません。実際に、多くの命ある生物たちは、一日の大半をいかに食料を確保するかということにあてています。個体が維持できなければ、種を維持するための生殖活動もできないのです。

自然界では絶妙なバランスで個体数の調整がなされます。食料が豊富にあればそれにあわせて個体数が増え、食料が不足するようならばそれにあわせて個体数が減るというように。

人間は農業という技術を使って、食料の供給を自らの手で増やすことを可能にしました。ですがそれは最初から無尽蔵にできたわけではありません。なだからな人口増と技術の進歩とのあいだでの、長い長い綱引きをへて、ここま発展してきたのです。

現在、我々は食事の心配をする必要がありません。好きなときに好きなものを、お腹一杯食べることができます。しかしこの状況を実現するまでに、人類は何万年という歳月をかけてきたのです。この国においてさえそれが達成できたのは、先の戦争が終わって高度経済成長に入ってからのことです。そして世界を見渡せば、まだまだ飢えに苦しんでいる人たちは少なくありません。

まずその前提を忘れてはいけないと思います。肥満が問題となったり、みながダイエットのことを考えたりするようになったのは、先進国におけるごく最近の事象なのです。なんとか飢えを克服しようと奮闘してきた人類の歴史からすると、非常に皮肉なことと言えるでしょう。

そしてダイエットという行為は、自然にも反する行為です。なぜなら生物とは、いかに限られたエネルギーの中で効率よく生存していくかということを前提として、進化してきたからです。過剰に摂取したエネルギーをただ浪費させるために、したくもない運動を無理にしたり、薬物やサプリメントのたぐいを使ったりというのは、奇怪で滑稽な現象にほかなりません。

そして「痩せる」ということを謳った食材やサプリメントというのは、もしその効能が実際にあるとするならば、体にとって何らかの悪い作用が起こった結果であるということを正しく認識する必要があります。より踏み込んで述べるならば、飲むだけでどんどん痩せていくような物質は、人体にとって明確な毒物であるということです(ただ本当にそのような効能がある成分というのは非常に限られ、ちまたに出回っている商品はたいてい単なるインチキですので心配いりませんが)。

そもそも本来ならば、人間とはあらゆる状況に対応できる、実によくできた存在です。それは飽食、つまりは過剰な食料の供給に対してもあてはまります。たとえば「食欲」という仕組みでもって、必要以上には食べたくなくなるよう形で。

これこそが体を一定の状態に保とうとする、あるいはおかしな方向に進まないようにする、「恒常性」にほかなりません。先ほど自然界においては個体数の増減においてまるで神の手が司るかのように食糧の需給バランスを取ると述べましたが、そういう仕組みが体の中にもあるのです。

ではなぜ人は過剰に食べ過ぎ、また太ってしまうのでしょうか? そこには現代社会に蔓延する、人間が備える恒常性を壊すような種々の因子が存在するからです。

以下のエントリーではその種々の因子を、美食、糖質、価値観という3つの視点に立って説明していきます。